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2018年03月

パソコンがこわれて、まったく更新できなかったブログ。
ついに壊れかけのiPadが復活してくれました。


何とかいける。
金曜日の話。

紙芝居を例によって新宿南口、
ルミネ2前でやりました。

とっても良かったです。
ハロヲタで絵師の福田とおるさんが、

こないだやった展示で、僕が買った絵をもってきてくれ
紙芝居もみていただけました。

気持ちのいい感想を言ってくれて、
なんだか調子にのってしまいそうに。

世界はハロプロとそれ以外でできている、と
実感してしまいました。

そしてあき。さんという方が
東京CuteCuteのCDを届けにきてくれて。

メンバーのあいりちゃんが、ハロヲタで誕生日が
9月10日で、キュートの日らしく。

ちなみに僕は9月11日ですので、
少なからずご縁があるなぁと勝手に思いました。

ビバ ハロプロ。
そんなこんなでハロプロ三昧の紙芝居ディだったんですが、

全然、興味のない人までみてくれたりして
とても充実しておりました。


有難うハロプロ。
有難う皆さん。

パソコンこわれちゃったけれど、
僕はそこそこ元気です。 

本日の訪問介護。
締めにまっていたのは、3人の子供でした。

一歳~三歳と超強力な布陣。
僕はまだ二回しか入ったことがない上に、

さすがに年齢が低すぎて扱いに困りました。
二人体制で入るので、

一方の慣れた方に色々聞きながら、こなすしかない。
3人のうち、一人だけ中々の人見知りで

顔を近づけるだけで、ぎゃん泣きされるし
残りの二人は懐っこすぎてずっとついて回られるし・・・・

子供に恵まれないまま44歳になってしまったので、
毎日これだとそりゃ大変だわ・・・と、

夫婦が日々暮らして行くという事の、
厳しさを思い知らされました。

うちは4人兄弟でしたけれど、
家にはおばあちゃんが二人もいたので、

まだしもその点は、少しラクだったかもしれません。
よく言われる嫁姑問題は少なからずあったんでしょうが、

子供であった僕にはまるでわかりませんでしたし。
おばあちゃんが亡くなったとき、母親がめっさ泣いてたので

それなりに、感じるものがありました。
そういえば話は急に変わりますが

昔、ブログに書いたかもしれません。
たまたま入った飲み屋、
二人のおばあさんがきりもりしたんですが、

話を聞けば、
今は亡きご亭主の奥さんとその愛人だとおっしゃる。

そんな事あるのか、と驚いてますと
奥さんの方は、当たり前ですが愛人に対して「殺してやりたい。」と

思うほど憎んでいたそうで、
もちろん現在とは事情も違う昔ですから、

存在はしりながらも夫に否や、とはいえなかったそうです。
ただ黙ってじっと耐えしのぶだけの毎日。

たまらず実家に帰れば、「戻ってくるな。」と言われ
やりきれぬ気持ちのまま、夫のもとに戻る。

それでも死ななかったのは、ただ子供がいたからでした。
なんとかかんとか育て上げたはいいものの、

気づけば夫、愛人と別れるなんて事もなく
ずるずると月日だけを重ね、亡くなってしまいました。

お通夜の日。
「せめてお焼香だけでも・・・」と、現れた愛人が

手を合わせ、涙をながすその姿をみて奥さんが、
しみじみと思ったのは、

この人もまた亡き夫に、翻弄され生き続けていたのだという・・・・。
立場は違うけれど、似た境遇に気づいた瞬間、

全てを許す気になったそうです。
「今じゃこうして一緒にお店までやって一番の仲良しだよ。
旦那には感謝してるよ。」

お酒をあおりながら豪快に笑う奥さんをみて、
僕は、打ちひしがれました。

奥さんができている、とか思うよりも先に
人の底力といいますか殺してやりたいと思うほどの相手とさえ、

分かり合える日が持てる凄さにおののきました。
こんなのは、うまくいった例でどちらかといえば少数派。

本当はもっと壮絶で凄惨な結果になるだろう事は容易に想像できます。
奇跡の結果と言い切ってもいいです。

だからそう、感動したんです。
実際、えらいもんです。

僕が仕事で入っている冒頭の子供三人の家庭も
あまり詳しく言えないですが、かなり事情は複雑です。

平成も30年で終わる日本でもまだこんなに、
苦しい現実がそばにあります。

何も知らない子供はただ毎日を楽しく過ごしています。
薄情な僕はそれをどこか面白いと感じていて、

だからこそこの仕事が好きなんです。
人非人すぎて手に負えない。

ただ子供が可愛い。
子供は欲しい。








尾形春水さん卒業 大阪恋の歌

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なんとなくのんびり構えていたら、
看過できないニュースが飛び込んでいました。

尾形春水さん、モーニング娘。卒業発表。
実は僕ひそかに今回、

4月22日に栃木で行われるコンサートに行こうと
画策していたんですが

これを聞いて一気に行く気がうせました。
湿っぽいのはもうたくさんなのと、

栃木といえば森戸の知沙希大先生の出身地なので
大いに会場も湧くだろうと期待していたのです。

でもこうなると、
どうしても中途半端に。

尾形さん個人に思い入れはあまりないのですが、
最近、彼女が読んで「面白い」と言ってヲタ間で評判になった

ラノベを拝見したとこで、せっかく話題性呼ぶ力があるのに、
もったいないなぁ、と思ったしだい。

こないだの春日太一アイドル応援辞めました話ではないですが、
2018年現在、アイドルであることモーニング娘。であることによって

良い事ははっきり殆どなくて、
普通に暮らしてる方がまだ全然楽しい世の中であろうと、

僕だって強く思います。
ましてや尾形さんは相当に可愛い。

きっとチヤホヤされます。
チヤホヤが止まらないに違いありません。

今となっては結果論ですが、
あの子には当初から危ういものを感じていました。

おそらくその容姿の割に、自分にさほど自身がないんだろうな、と
思っていたからです。

一番気になったのは、いつまでたっても辞めない
大阪人アピール。

地方出身者が、出自にこだわるのは僕自身もそうなので
すごく良くわかるんですが、

大阪はあかん。
こういう言い方もおかしいかもですが、

出身地だけで、キャラが立つ。
ともすればそこだけに頼りきりになってしまう。

オオサ感に溺れる。
問題は、実は大阪そのものが、

東京では完全にベタ化してしまって
もはや珍しくもなんともない、という事なんです。

東京住まいの関西人ならよくわかると思いますが、
オオサ感が強いヤツ、街中でけっこう見かけます。

肥大化した自意識の発露を目の当たりにしてるようで、
いたたまれない気持ちになります。

「辞めて!今すぐその口を閉じて!」と
叫びだしたい衝動にすらかられます。

ひとえに、関西芸人が招いた弊害だと
思うんですが2000年代以降、

ザ・オオサカなるものがすっかり日常化した日本で、
笑いの本場大阪なんてラベルは手あかのついた

前時代的価値観になのに、
それに気づかないでいる人がまだ一定数いて

「今の突っ込んでよ!」
「オチないんかい!」

なんて、大上段から振りかぶったりしています。
尾形さんはどちらかといえばこの系譜で、

総じて若い子に多くみられる特徴です。
それはまだ社会で何事かを成していない、

成長過程の入り口なので、
仕方のないことだと思うんですが、

言い方を変えればいたって普通の大阪人というか、
出身地しか自慢できる事のない気持ちの表れです。

この癖が彼女、いつまでたっても抜けなかった印象で
大阪出身メンバーもそこそこいるハロプロで

群を抜いていました。
チラッと見聞きした話で恐縮ですが、事務所も感づいてたのか

「大阪弁ひかえなさい。」と言っていたようです。(うわさ)
実際はどうか知らないけど、僕が会社の人なら言ってましたね。

なんで彼女は、そこしかなかったんだろう・・・・
黙っていてもいいくらいの美少女だったし、

我が我がの娘。メンバーの中にあって
黙っているだけで、結構雰囲気でてきたはずなのに・・・。

おそらく、そうも言ってられないくらい焦っていたんだと思います。
引きのアピールなんて大阪人と一番相容れないですし。

「こんなんでいいんやろか・・・・・
もっともっと前にでなアカン!」

そんな気持ちに押しつぶされてしまったのかもしれません。
それでも自分で頑張るのが芸能界で、

アイドルはロボットって昭和時代の話ね、という人もいるんでしょうが
僕はそう思いません。

明らかに現代ハロプロの方が感情を殺して
感性を磨かなきゃならないロボットだし、

制約が多すぎて大変だと思います。
それでも自ら望んで、過酷な世界に飛び込むのがアイドルで

モーニング娘。なんだったとすれば、
やはり尾形さんはそこまでの覚悟を持ち得なかったんでしょう。

いいんです。
努力して頑張ったからって決して報われるもんじゃありません。

根性論では世の中回っていない。
悲しい意味じゃなくて、うまくやったもの勝ち。

今後は四年制大学へ、との話で
そのままずっと一般人のなのかよくわからないけれど、

彼女の美貌で、
芸能界復帰、元モーニング娘。の肩書は相当の武器になると思います。

アップフロントに仁義をきって、
他からデビューしてほしいくらいです。

真野ちゃんくらいの気骨があれば、
同じ事務所でも、且つてのファンを相手にし続けるハメに

なんてならないでしょうが、
尾形さんはねぇ・・・お人よしな気がして心配です。




蛇足ですが、アンジュルム川村彩乃ちゃんの高知弁は
同じ地方でも大阪ほど、

ベタではないので、じゃんじゃん使ってもらいたいです。
本人も意図的にぶっこんではるし、頼もしいです。

個人的には奈良県南部・和歌山件なんかは同じ関西でも、
ざじずぜぞがだぢづでどになったり、

三重までいけば愛知と混じってたりでマイナーな面白が
まだまだ眠っているので、

そういう出身地の人には頑張ってもらいたいです・・・・
でも誰もいませんでした。

かろうじて渡瀬マキや加藤紀子が鳥羽というくらいか。
確かに渡瀬マキはすごく控えめに、

三重弁を使ってた印象があります。
でも・・・・ハロプロじゃないしなぁ。

同じくじゃない加護さんは大和高田なんで、奈良県北部。
どちらかといえば、河内弁勢力。

・・・これも実に微妙な違いはあるんですけれども。
僕の幼き頃記憶では、誰かの遊びに混ぜてもらう時、

河内弁では「よして~。」と言ってたのに、
奈良北部だと「まして~。」になったり、

「〇〇やからな。」が「〇〇やからや。」とか
言い出せばキリがないくらい違うんですけど、

全てどうでもいい話でした。
ふるさとは遠くにありて思うもの。













武田玲奈さんと東南アジア

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僕が大好き週刊プレイボーイの、
表紙が無敵の武田玲奈さんだったので、

中身もみずに即購入。
楽しんでおります。

雑誌そのものが、元気なくなっているとはいえ
武田玲奈さんのグラビアだけはいつだって本気です。

もはやこの人が裏でどんなに遊んでいようが、
一切気になりません。

そんな些末な事なんてとっくにこえて、
見ていてあきない、日本一水着姿の似合う女子だと思います。

いったいこの勢いはいつまで続くんでしょうか。
はたまたそう思っているのは、僕だけなのか世間もなのか

まったく測れるものではないんですが、
知らない人にはとにかく一度目にしてもらいたいもんです。

テレビなんてものがありますと、動く彼女を目にする機会も
増えてきたようなんですが、

僕個人としては、動かなくていい。
画像の玲奈ちゃんとして燦然と輝く地位を持ってはります。

どうも今週の週プレは、
ベイビーレイズJAPANの傳谷英里香ちゃんを

プッシュしているようなんですが、
武田玲奈さんの圧倒的破壊力に比べれば、

初水着とはいえ弱いです。
かろうじて大友花恋ちゃんですか、

電影少女2018にも出演されていたので、
見たことある!となりましたが、

水着がまだ着こなせていないような印象で、
同じ女性誌モデルでも武田玲奈さんの風格には

いま一歩及ばずでした。
少し武田玲奈さんを買いかぶりすぎじゃないか、と

言われそうですが、たいがいグラビア大好きの僕が
ここまで夢中になった子なんてそういないので、

彼女は本物だと思っています。
写真集もあと3冊は出してもらいたいです。

熊谷貫という大御所写真家さんが、
僕はあまり好みでないんですけどそれでも彼女は素晴らしくみえて、

よほど素材が立っているんかもしれません。
今回の撮影地はタイらしいんですが、

こないだのベトナムでのショットといい、
東南アジアの湿った日差しは、

武田玲奈さんをもっとも美しくみせられるのでしょうか、
なまめかしいったらありゃしません。

考えに考えてきっと、
あちらのお国独特の簡素なシルク地ドレスなどが、

スレンダーな女性を生やす原動力なのだ、と
ごく当たり前の結論にたどりつきました。

マイナスの美学といいますか、
僕なんかからすればもうちょっとこう刺繍とか色とか

凝った方が可愛くない?なんて思いそうなところ
割とあっさり捨てているような面があって

物足りなさを感じる時もあったんですけど、
武田玲奈さんがおめしになっているのをみていて、

それらの美に気づかされました。
顔にほどこされた化粧含めて、そこにただあるものを

際立たせる事が、
とてもうまいのは東南アジアの地なのだろうと思いました。

あぁ・・・武田さんを通してまた、
かの地のすばらしさを思うなんて。

ゑ・・・これは以前のベトナムのやつですね。いいなぁ。













気持ちのいい気候。
洗濯物もすぐ乾く。

季節的なものなのか、
草花に目が行くようになってまいりました。

桜は当然ですが、
注意してみれば街のあちらこちらで

様々な花が咲いています。
詳しくはないので、花の名前を言って説明なんて

まったくできないんですが、
眺めているのは楽しいです。

「花は好きだけど、虫がくるから一輪挿ししか買わない。」

知人にそんなん言ってる人がいて、
花なんてこれまでほんの数回しか買ったことのない僕は、

ほうそういうもんなのか、と新鮮でした。
確かに考えてみれば植物なので

当然の事かもしれません。
そういうえばこの時期、お花見ですが

桜には毛虫がたくさんいたような気がします。
この時期はまだあまりいないようですけれど。

都会では虫が苦手な子が増えています。
いや、都会でなくとも今は家の中にもそうそう入ってこないので、

だいたいが虫嫌いです。
少し前の夏だったかに、近づいてきたカナブンを

手づかみしたら周囲からびっくりされました。
いい大人が「うわぁああ。」なんて声上げて騒ぎだす事態に、

僕自身、ぽかぁんとなってしまって
「いや。ただのカナブンやで。」と、

まじりっけなしに訴えるしかありませんでした。
ゴキブリ手づかみは、

腰抜かすけどカナブンであんな事になるとは、
正直思わんかった。

よく手足をちぎって遊んでたけどね・・・・・
なんて言えばイマドキ問題にもなるかもしれません。

そういえば小学生の時、
バッタを食べるカマキリをみるのが好きでした。

とてもうまそうに食べるので、飽きずにみていました。
そのうち、自分で捕まえて

休憩時間の教室で、食事シーンを観察するようになりました。
ある日、たまたま教室を通りかかった

別のクラスの先生が、それをみて
「何してんの!」と血相変えてとんできた事がありました。

若い女の先生で、
おそらく当時まだ20代半ばだったと思います。

小学生の僕からすれば十分、大人だったので
「そんな残酷な事して何が楽しいの!」と

強く言われ、悲しい気持ちになったのを覚えています。
この人はなんでここまで怒るのだろう・・・・

罪の意識がまるでなかったので、
家に帰ってもしばらく引きずっていました。

バッタも生き物、
というごく当たり前の意識が抜け落ちてしまうほど

カマキリの食事シーンは、
僕にとってエンタメだったんだと思います。

あそこまで怒らなくても・・・といまだに少し思うけれど
自然の摂理ではなく、人為的になされた行為だという事に

先生はきっと驚いたんだと思います。
一見して、子供の残虐性を受け入れることができず

ついカッとなってしまったのかもしれません。
考えてみればあんな事をわざわざ教室でする人間は

他にいませんでしたし。
自身はその世界に浸ってたので、

周囲の目が意識に入ってなかっただけなんですが。
いずれにしても、

春の草花から、
そんなどうしようもない小学生時代の思い出が

ふと浮かびました。
・・・・考えてみれば人間もバッタ食べてましたよね。

今でもその一部、
好事家の間では楽しまれているようですが。

僕は無理だな。
カマキリになれたら食べてみたいけど。













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